奥州藤原氏が創建したと伝えられ860年以上の歴史をもつ虚空蔵山大満寺。
鎮座する虚空蔵菩薩は諸願成就、無病息災、円満成就の菩薩さまです。
虚空とは大宇宙のことであり、大宇宙を宝蔵として無限の知恵と慈悲を私たちに分け与えてくださる、その大きな宝蔵から参詣者が必要なものを取り出して分け与えて正しい歩みを導いてくださるのが菩薩さまであります。
そして108の煩悩の中でも三毒と言われる(貪り、怒り、愚かさ)から離れる修行を私たちと共に勤めてくださる菩薩さまなのです。
創建から860年の時が過ぎ二度のご遷座を経た現代においても、この虚空蔵山頂を含めて大満寺境内は仙台市内でも有数の浄域であり心の安穏を得ることができるパワースポットとなっています。
虚空蔵菩薩経などに説かれる、虚空のごとく無量の智恵や功徳を蔵する菩薩の事。密教の教主である大日如来の働きのうち、「虚空」と「蔵」という特性をもった菩薩。虚空は何ものにもうち破られないから無能勝であり、蔵はすべての人々に利益安楽を与える宝を収めているという意味です。
要するに、虚空蔵菩薩は、大宇宙の如く大きな功徳で、悩める全ての人々を救済する力を備えた菩薩であり、不思議な力により窮地に陥った者を救う菩薩であることから、能満諸願(厄払いその他、諸々の願いを良く満たしてくださる)、身体健全、家内安全、交通安全、商売繁盛、水子供養祈祷、等が特に信仰され、その昔、虚空蔵菩薩は、うなぎに乗って天から舞い降りてきたという言い伝えから、料理人からは、うなぎと縁の深い菩薩として信仰され、太白区向山、大満寺の裏山の頂上にある虚空蔵尊は、仙台駅からも程近く、身近な静寂な祈りの場(救いの場)として、御祈祷の神通力を通して広く一般市民と縁の深い御祈祷所として今日、親しまれています。
虚空とは現在の概念でいえば、ほぼ空間に相当します。そこではいっさいのものがなんのさまたげもなく、自由に存在し運動し変化し機能することができます。この空間というものをみたてて、大宇宙空間の如き広さにたとえるのが、虚空蔵菩薩の功徳の大きさにふさわしいと言われています。
今から八百年程前、大満寺は奥州藤原氏が創建したと伝えられる。寺地は現在の青葉城にあったとされ、その後経ヶ峰、さらに現在の愛宕山に移りました。
天正五年(1577)龍泉院三世量山広寿和尚が中興開山し、開基は二代藩主忠宗公。
虚空蔵堂と千躰仏堂は仙台地名発祥のルーツとも云われ、一体不離のもので(千躰から千代、そして仙台の地名になった) 虚空蔵堂境内に奉祀されており遠近の参詣者が絶えません。
長い参道の石段を登りつめると、正面に江戸時代初期の代表的仏堂建築物と云われる虚空蔵堂が圧倒的な姿を現します。その右側に十二支の守り本尊を祀る八角堂が建ち、その後に牛野地蔵尊が快慶様式をふまえて祀られています。 虚空蔵堂の左側には阿保原地蔵尊、市民に「とげぬきさん」と愛称で呼ばれ祀られています。境内西側には、仙台市の中心街を見渡す位置に千躰仏堂と鐘楼が建っており、 広瀬川を眼下にして遠くには七ツ森の特徴ある連山が望まれ参詣者の心をすっかり爽快にさせてくれます。
仙台青葉城はそもそも「虚空蔵城」とか「虚空蔵楯(館)」と呼ばれていたのは、大満寺の虚空蔵堂が主塔であったからである。国分能登守の居城になった時、千躰城と改められた。 「伊達治家記録」によると「城辺に千躰佛を祀るが故に千躰城と号す」と記され、この千躰佛は大満寺の千躰佛を指し、この千躰佛こそ仙台地名の源(ルーツ)である。
すみわたる
そらながれゆく
かねのねは
しゃかのみのりの
こえときこゆる
"とげぬき地蔵さん"と親しまれて、水子さん、子授け、子育て、延命の願かけに訪れる人が大変多く、県外の遠方(関東や北東北方面)からのたくさんの信者さんからも、支持されています。
この地蔵様は阿保原地蔵と申します
またの名を刺抜き地蔵さんと申します
色々の棘 種々の障り 障り虫
水子の霊による病気を平癒してくれます
子供達や、参詣者にも大変人気で、自分の干支の前で、一緒に記念撮影さをされる方もたくさんいます。 虚空蔵尊は十二支霊場で、家族全員の干支があるので、家族でお詣りしてもらいたい願いから十二支石像を建てました。
・十二支とは
子(ね・千手観音) 丑寅(うしとら・虚空蔵菩薩) 卯(うさぎ・文殊菩薩) 辰巳(たつみ・普賢菩薩) 午(うま・勢至菩薩)未申(ひつじさる・大日如来) 酉(とり・不動明王) 戌亥(いぬ い・阿弥陀如来)
「丑」はもともと、み仏の使いとされて来ました。
丑寅生まれの守り本尊としても信仰を集め、この牛を磨くと福と知の無限の御利益があり、運が開けると言います。
十二支八角堂は、十二支、干支(えと)の
八躰の守り本尊が祀られております。
十二支に当たる守り本尊は
以下のようになっております。